昭和五十年七月二十六日 蛭崎佐美子霊神の50日祭での教話
おかげを頂きました。不行き届きながら、只今、合祀祭に併せて、五十日祭を滞りなく終わらせていただきました。十日、十日の、旬日祭も滞りなく仕えられ、そして、いよいよ、御霊のお祭りとしては、一番大事と言われる、いうなら、本当の意味においての御霊様の、お仲間入りが出来たというのが、今日のお祭りでございます。
今日の御霊様の、まぁ一口に分かりやすく申しますと、それこそ、コカコーラの、あのキャッチフレーズじゃないけれども、スカッと爽やかになられたという事ですね。いうならば、汗を流して帰ってきた。ちょっと、シャワーを一つかかりなさいと言うて、シャワーをかかって、そそて、冷房の効いた部屋で、この一服するという時。本当にスカッとした、爽やかさを感じる。今日の御霊は、今日のお祭りで得たものは、それですね。ですから、これはほんなら、何時までも続くというものではございません。やはりまた、汗が出たり、汚れもしたりします。
ですから、これは、これから先は、遺族の者の、言うならば、御霊への糧というのは、やはり、真心とか、思い、または、それを本当に、力にして送れるのは、やはり、信心による真心だと思うんですけれども。やはり、御霊は御霊なりの精進が、今日から、いよいよまた始まるわけです。私共が、やはり、精進させて貰う。生活させていただくためにも、やはり、様々な、それぞれの働きを致しますように、御霊は御霊の世界で、やはり、それぞれの働きを致します。同時にまた、心がそこに気付いた御霊は、自分が、いよいよ、精進して、より力のある御霊。より豊かな御霊、喜びの御霊として、そこに気付かせて頂く御霊は、これから、自分一人で、さっさと精進の修行をするわけです。
まぁ、仏教で言うならば、いうなら、本当の意味での極楽を目指すわけです。私が、神様の事を、また、御霊の世界の事を分かり得ておるという事は、もうこの、魂の世界の、現存ですね。しかもその、魂の世界で、御霊達が、本当にこの救われたい、助かりたいという願いを持っておるけれども、その助かっていく、救われていく手立てを知らない御霊が沢山あるということです。
それは、ほんなら、人間の世界でも、そら同じです。誰でも幸せを願わん者はおりません。幸せになりたいと思うて勉強もする。幸せになりたいと思うて技術も研く。幸せになりたいと思うて、健康管理も致します。そして、健康でもあった、勉強もした、技術も身に付けた。ところがどっこい、これだけでは、人間が幸せにはなれないということに気付いて、初めて、心の世界というか、信心の世界に目覚めるのが、普通、私共の幸せになっていく、本当の意味においての幸せになっていくというのは、信心による他にないのです。それに、例えば、蛭崎さん辺りは、気付かれて行かれるのですから、御霊とても、やはり、そこを気付いておるのですから、金光大神の、やはり、御霊の世界においても、お取次ぎを頂いて、日々、スカッと爽やかになるようなね、精進をすることでしょう。
これは、私も最近分かり得た事ですけども。どうぞ御霊様のご守護とか、御霊様の働きとかという事は、絶対あり得ないです。これは、例えば、御霊様に、働いてくださいなんて言ったって、働きが出来るはずはない。いうなら、死人をごろごろ舞台に引っ張ってきて、踊れと言うようなもんですから。
但し、教祖様は仰るように、信心の徳というものは、あの世にも持って行け、この世にも残しておけるとこう言われております。ですから、御霊様なんかでも、御霊ながらの働き、御霊ながらの世界で、自分自身が助かることのための精進は致します。ですから、どうでもその、先祖の御霊が助かるためには、遺族の者の、真の信心が、どうでも必要になってくる。もう自分で、言うなら、自活できるといったような御霊は、そうざらにあるものではありません。やはり、それこそ、難儀な御霊の世界で、もうそれこそ、難儀し続けておる御霊が、先ずは殆どというても良いぐらいでしょう。
その中に、こうやって、生前、信心の縁をいただき、後に残る子供、主人が、真の信心をさせて貰うて、その信心の喜びをもって奉仕をする。御霊様へ奉仕をする。そこに、都度都度に、本当に、スカッと爽やかな思いで、御霊様、御霊ながらの働き。御霊が、自分自身助かることのための働きをする精進をする。言うなら、根が、段々肥えてくるという事です。ですから、根が肥えてくるということは、とりもなおさず、私共が、一つの幹であり、葉であるならば、御霊はその根に当たるのです。目に見えない世界に下りますけれども、根との繋がりというものはある。私共が、例えばほんなら、子供が、親の御霊様に、あぁ本当、お母さん、甘いものが好きだったから、辛いものが好きだったからと。はぁ、今日は暑い、喉が渇いておりなさるかも知れんと言うて、冷たい氷水の一つもお供えするといったような。そういう心掛けがね、あの、天地の親神様が喜びなさるのです。だから、あの、ここでは、神様へのお願いを
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